みなさん、こんにちは。みなさんは「なぜ、出された食事に対して、好き嫌いをしてはいけないのか」について考えたことはありますか?
みなさん、こんにちは。ミッチと申します。私の家庭は、私(夫&父親)が主夫で、私の家内が外で働くという、一般的な日本の家庭では夫と妻、父親と母親の典型的な役割が真逆の家庭なんです。
さて、今日は、以前から「なぜ、食事に関して、好き嫌いしてはダメなのか」について私個人が疑問を抱いていたので、この度私なりの意見をこのページでお話ししようと思い投稿させていただきました。
ちなみに余談になりますが、我が家では、一品ずつ大皿に盛って、それをテーブルの上に置くのではなく、上の写真のように、1人前ずつをプレートに分けて配膳します。学校の給食みたいに。こうすることにより、料理をする側として、ちゃんとみんなが配膳された料理を満遍なく食べているかが確認できます。また、1人前の量がわかるので、「知らず知らずのうちにある特定の食品だけを食べ過ぎていた」や「なんとなくつまんでいたら、いつの間にか食べ過ぎてしまっていた」などと、食べ過ぎや栄養の偏りを防止することもできます。また、料理をする側(私)にとっても、プレートに3品乗せる区切りがあるので、「3品を作るぞ!」という気持ち、より多種多様な食材と献立を作るモチベーションになっています。
食べ物に関して、「別に好き嫌いしたっていいじゃないか」という意見について:
さて、本題に参りましょう。まず、食卓で出された食べ物に関して、「別に好き嫌いしたっていいじゃないか」という意見について考えてみましょう。
栄養の観点から:
確かに食事に関して、「好き嫌い」したからと言って、または「好き嫌いが原因で特定の食材を食べない」からと言っても、必ずしも健康状態に支障をきたすわけではありません。
どういうことかというと、例えば、ピーマンが嫌いな人が一生ピーマンを食べないことにしたとしましょう。ピーマンにはビタミンC、ベータカロテン、ビタミンB6、葉酸、食物繊維などが豊富に含まれています。これらの栄養素は、免疫力の向上、視力の維持、消化の促進、血圧の調整など、さまざまな健康効果をもたらします。
でも幸い、現代の日本社会は様々な食品に溢れています。少なくても、「生命を維持するための最低限の食事を確保するために行列に何時間も並ぶ」必要はありません。「味なんて関係ない。とにかく口にできるものは、なんでもいいから口にできる時には、口にしなければ、明日はどうなるかわからない」という時代でも社会でもありません。
だから、ピーマンを食べなかったとしても、ピーマンに豊富に含まれているビタミンやミネラルを他の食品から十分に補うことができます。ここでピーマンを例として挙げているように、ある特定の食材を食べなかったとしても、他の食品から必要な栄養素を十分に摂取できれば、「健康的な生活を維持する」という観点においてはなんの問題もないわけです。
心理的な観点から:
それから、よく聞く意見として、「嫌いな食べ物や食材を昔、親に無理やり食べさせられてそれがトラウマになった。そのせいで、それがもう一生食べられなくなってしまった」という話をよく聞くことがあります。誰にでも苦手な食べ物や食材があるのは当然です。また、刺激が強い食べ物や、苦味の強い食べ物、匂いが強い食べ物などは、その食べ物がよっぽど好きか食べ慣れていない限り、やはり我慢して食べるのは大変なことでしょう。
それから、見た目が気持ち悪い食べ物も、やはり食べ慣れていない限り、それを口に運ぼうとしただけで気分が悪くなってしまうかもしれません。
ちなみに余談になりますが、先ほどの「嫌いな食べ物を昔、親に無理やり食べさせられたことがトラウマになって、そのせいで、それがもう一生食べられなくなった」というのは、世のお母様、お父様に同情します。そもそも、「親に無理やり食べさせられたかどうか」に関わらず、その食材がもともと嫌いなら、「親にそれを無理やり食べさせられていなくったって、一生食べられないまま」の可能性は高くないでしょうか?
食べ物に関して、「好き嫌いしちゃダメ」という意見について:
すみません、話が脱線してしまいました。ここまでは、食事に関して「好き嫌いがあったっていいじゃないか」というスタンスで話を進めてきたわけですが、実は私個人、料理を提供する側からすると、「好き嫌いなく、出されたものはなんでも食べてほしい」というのが本音です。
料理をする側に対する精神的ダメージ:
それはどういうことかというと、私が言いたいのは「栄養摂取」云々の話ではなく、「料理する側の気持ち」を考えた場合のことなんです。食事を作る側にとって、家族の健康を考えながら毎食心を込めて料理しています。しかし、もし食事を出された側が、その食べ物が嫌いということで食べなかったとします。すると私が心を込めて作った料理が無駄になってしまいます。つまり、料理を作った側にとっては大きな精神的ダメージとなります。
しかも、世の主婦/主夫は1日におそらく最低でも1食、休日であれば朝、昼、晩の3食、食事を準備するわけですが、1食作るのに、私の場合は最低30分、平均で45分。これに後片付けをする時間も「食事の準備の一部」とみなした場合には、毎食毎食、キッチンで1時間半から2時間近く作業をしていることになるんですわ。しかもそれを毎日。それを想像していただければ、料理を作る側にとって、時間と労力をかけて作った料理が残されることが、いかに悲しいことかが理解していただけるのではないでしょうか。
料理を提供される側にもデメリットが:
また、家庭内で食事をしていた場合、その家族の中に「OOが嫌いだからOOは食べない」という人がいた場合、食べる側にも大きなデメリットがあります。
どういうことかというと、例として、4人家族のスミス家のみなさんに登場していただきましょう。スミス家には、料理を担当するお母さんのサンミさんの他に、
-ナスは好きだがピーマンは嫌いという旦那さんのペドロさん
-ピーマンは好きだがナスは嫌いという長男のクリストーフくん
-ピーマンもナスも嫌いな長女のミシェールさん
がいたとしましょう。
こういった状況では、料理を作る側にとって本当に頭痛の種でしかありません。もし「嫌いなものは食べなくて良い」というルールを家庭内で許容してしまうと、毎回全員が食べられるものを作るのは非常に困難になります。そして、料理を作る側にとって、料理のレパートリーが狭まり、結果として毎回同じようなメニューが繰り返されることになりがちです。これは、家族全員が食事を楽しむ機会を減らすことにもつながります。
経済的なデメリット:
経済的な視点から見ても、好き嫌いが多いと家庭の食費が増える可能性があります。特定の食材を避けるために、別の材料を用意する必要が出てくるからです。それが積み重なると、じわりじわりと食費がかさんでくるんです。
まとめ:
我々人間ですので、どうしても好きな食べ物と嫌いな食べ物があるのは自然なことです。またアレルギーや生理的にどうしても受け付けられない食べ物があるのは仕方がないことです。
しかし、外食の時は別として、家庭内で食事をする場合、料理を提供する側にとっては、家族全員が満足できる食事を提供するために、家族のメンバー1人1人に多少の好き嫌いは乗り越えてもらう必要があるんです。また、好き嫌いがあったとしても、食卓に並んだ料理を受け入れることで、家族全員の食事がバランス良く豊かになります。
今まで「OOは嫌いだ。必要な栄養素は他の食材で補えるからOOは食べない」という具合に、嫌いな食べ物を残されていた方は、この記事を読んで、料理を作る側の気持ちをほんの少しだけでいいので考慮してみていただければ嬉しいです。